2019年8月23日。腎臓の移植手術を受けてからまるまる1年が経ちました。いろいろな事があり、いつもの何倍も早く感じた1年でした。例によって、記録も写真も何も無いので「ボンヤリとした記憶」のみを頼りにダラっと書いていきたいと思います。
ついに手術当日がやってきました。
2018年8月17日(金)に入院。
その後、検査だ準備だと時間は過ぎました。
そして23日(木) ついに手術の当日がやってきました。
食事は前日の夜か、その日の朝まで。以後、しばらく絶食になります。
多分、前日夜だったかな?
水分が当日朝だかお昼までOKだったかもしれない。
そして当日の午前~お昼ごろに下剤を飲むように指示されました。全身麻酔ですから「胃・腸に何か残っていると大変、全部出さなくてはいけない」という理由です。
下剤は粉薬でした。これをコップに入れ水で溶いたものをグッと。美味しい物ではありません(笑)ちょっと汚い話ではありますが、以後夕方にかけて数回トイレに行き、すっかりカラッポの身体になりました。
あとは手術を待つのみです。前の手術が押しているようで、ちょっと時間が遅くなっています。
待ち時間が増えるほど緊張も高まります。
さぁ、いざ行かん手術室へ。
キドサワさーん!
ついに呼ばれました、時間が来ちゃいました。正直怖いです…。。。
術着に着替え、オペ室までは看護師さんと一緒に徒歩で。ベッド事運ばれるならまだしも、自分の足で向かうわけです。
手術室に入ると「本人であるか・何の手術をするのか」などなど、何度も色んな事を確認させられます。万一、間違いがあってはいけませんからね。
さぁ、いよいよ開始です。
肝心の手術についてですが、
以上です(笑)
麻酔って凄いです。気が付いたら手術が終わっており、何も覚えていません。当たり前ですが。
時間は21時台だったと思います。
ICUっぽい名前の所で一晩。
手術が終わるとベッドごとICUっぽい名前の所へ移されました。「ICU」では無いですが、アルファベット3文字の所です。
手術後の患者は看護師さん、もしくはそういった専門の方の監視の元、ここで一晩過ごします。
意識はハッキリしていますが術後・麻酔後と言う事で気分が良い物ではありません。お腹を切ったと言う事もあり痛みとの闘いもありました。咳なんかしようものなら激痛で気絶してしまいそうです。
先生曰く、痛みに強い人・弱い人。人によって分かれるみたいですね。私はカナリ弱い方みたいですね^^;
ここでの一晩はとても長く感じました。何回も時間を訪ねたり。水も飲めません、体はすっかりカラカラです。
早く朝になれ、部屋へ帰りたい!
自分の病室へ
翌朝、10時ごろ、いよいよ病室へ戻ります。1週間ずっといた部屋ですからね、やはり落ち着きます。
次の日だったかその次の日まで寝たきりになるので、足の血流が悪くならない様に機会を取り付けられました。
暫くして落ち着いた頃、看護師さんにスマホとイヤホンを取ってもらい、radikoでラジオを他部屋にいるドナー(身内です)へ「報告と感謝のメール」を。
ちなみにこの時、ラジオから流れてきたのはTBSラジオ「たまむすび」でした。
金曜になのでTBSアナウンサーの外山さんと浅草キッドの玉袋筋太郎氏の2人です。
この瞬間はじめて「あぁ、一応日常に戻ってきたのかな」と思ったのを覚えています。バカ話満載のラジオ故、笑ってしまい傷に響くのですぐ消しましたけど(笑
とりあえず今回はここまでです。
お付き合いありがとうございました!
一年後、そこには元気に日常生活を送るキドサワの姿が
2019年8月末。 早いもので手術から1年経過しました。
9月上旬に退院、その後通院を重ね11月中ごろに社会復帰。今現在、私はもといた会社で普通に働いています。
あの時はもう戻れないかなと思ったよ。
もしかしたらデスクワークだから続けられているのかもしれませんね。
とはいえ、体力的・精神的にも疲れが凄い事になっているのも確かなわけで。正直決壊寸前です。
退職しフリーランスでやっていく。なんて事も視野に入れています。
甘い考えかもしれませんが。。
この頃よく聴いていた音楽
Helios – Remembrance
アンビエント・エレクトロニカと言ったところでしょうか。1日中コレばっかり聴いていた記憶があります。思い出の1作品ですね。